大学時代の同級生、堀井クンの個展が神戸で開催中なので出かけてきました。

彼は、私の人生において大きな覚醒を与えてくれた男で、彼があるときボソッと語ったワンフレーズは、私にとって一種のカルチャーショックであり、それは紛れも無く、私が断固たる自分の人生を歩み始めたきっかけとなりました。今も、彼の顔を見るたびに、「あなたがいてくれてよかった」としみじみ思うのであります。


私の父は、男女の違いというものに不思議なダブルスタンダード(あるいは、ある地点以降の思考の停止)を持っている人で、そのために私の若年時代は少なからず混乱をきたしていました。

父は「男も女も平等であるべきで、たとえば、女に学問はいらない、などということは全くの間違いである」ということはちゃんと認識していましたし、また、事実、小さいときから「女の子らしくしなさい」などというようなセリフで私を躾けたことは一度もなく、その点においてはしごく真っ当な人です。「嫁に行け」の「よ」の字も出したことはありません。ですから、私は父を、「とても物分りのよい、先進的でカッコいいお父さん」と思いながら成長していました。

それがなんとなく、「うん?」と疑問に思うことが増えてきて、その私たちの思考の違いというものの原因が一体何なのかということは茫漠としたまま、ついに私と父は大戦争時代に突入し、(とくに私は)荒れ狂っておりました。何もかもがぶつかるし、あらゆることが気に障っていました。

そんななか、堀井クンがある日、「俺は、絵さえ描かしてくれるなら、一生、女のヒモがいい」と言ったのです。


、、、、、、、、、、考えてみれば「ヒモ」などと形容される男は、小説の中では知っていても、現実に私のまわりに存在したことはありません。たぶん、それから20年以上も経った今ですら、そんな男性に出会ったことはないような気がします。そんな「ヒモ」に、彼はなりたいと言うのでした。

私は気づきました。きっと、これこそが私と父の戦争の原因だということです。「ヒモ」などは、私の父にすれば「下の下」の人間であって、男たるもの、一家の大黒柱となって家族を守り、稼ぎ、社会的にも立派な存在価値を認められるような男でなければならない、女に食わせてもらうなんて、じつにサイテイサイアクなのです。すなわち、父にとっては「男と女が平等」などと言うのは、まったくの表面事項にしか過ぎません。もちろん、父はそう思っていないでしょうけれど(だからこそ始末が悪い)、思考は浅く、社会に呪縛されており、なんら真新しいこともないのだ。その上っ面加減を私は許せず、ブチ切れていたのです。そうかぁ〜 そういうことだったのか、やっと分かった! 何かおかしいと思ってたのよウソっぱち! ってわけです。ま、なんだかんだ言っても、「女のヒモになりたい」というセリフを言える男の前では父の平等論なんか玉砕ですわ。

ほんとうに、このときの堀井クンの言葉がきっかけで、私は少しずつ、自分自身の思考を育ててきたような気がします。今見えていることの奥がどこまであるのか、真の姿は何であるのか、少なくとも、注意深く考えようとしてきたのでした。リアルな体験というのはものすごく大きな力を持っています。堀井クン、ありがとう。


で、話は戻りますが、ヒモを切望していた堀井クンはいったい今はどうしているのか? じつは現在、同級生のなかでいわゆる「絵を売って」生活が成り立っているのは彼だけで(笑)、京都市内に家とアトリエを別にもち、とりあえずは妻と子供がいて、たぶんその皆の生活を担っているのは彼の稼ぎのようですし、社会的にもいちおうはふつうの体裁が整っているのです。ククク! 不思議なものですね。、、、いや、けっきょく、それほどの強い情熱があってはじめて、人は何かを成しえるのだということの証明なのかもしれません。