今までにいろいろな国を旅したけれど、南米大陸には足を踏み入れなかった。

私がよく海外へ行っていた頃は南米への航空運賃がバカ高だった、ということもあるし、私の旅は観光が主体なのではなくて、現代美術の展覧会を観るのが主たる目的だったために、しかるに現代美術の動きがないところには行く機会を逸していた、というのが大きな要因だ。そういうわけで、私はハワイにも行ったことがない。今から思えば、若くて体力のあるうちに、そして、時間も思う存分自由になるあいだに、アフリカへも南米へも行っておくべきだったと反省するが、もう後の祭りである。でもまぁ、人生にはタイミングというものがあって、やはり、そのときに望んだり出会ったりするものしか、最終的には縁がないのだともいえるし、機会を得ないままでもずっと気持ちに残っているものが、あるいは希望となって人を元気づけるのかもしれない。私にとっての南米というのは、そのようにずっと心の底に残っている土地だ。

幼少のとき、両親にときどきホテルのレストランへ食事に連れて行ってもらったが、そこにはピアノの生演奏があった。リクエストしてもかまわないよ、と言われ、私は即座に「コーヒー・ルンバ!」と答えて、そのピアニストさんに笑われたのを今でも覚えている。たしかに、5歳か6歳かいくつの頃だったか忘れたが、チビ子供のするリクエスト曲ではないのかもしれない。

なぜに私がそのような曲を知っていて好みだったのかというと、うちにはレコードがたくさんあって、それはクラシック曲ではなくて「魅惑のタンゴ」とか「哀愁のダンスミュージック」とかいうようなもので、妖艶なアイラインもくっきりとした美女が肘までの手袋を嵌め、長いキセルタバコをふかしているようなジャケット写真のレコードであった。私の母の言うことが本当だとすると、「昔は、ダンスくらいしか娯楽がなかった」のだそうで、ハイヒールをあつらえ、踊りに行っていたらしい。断っておくが私の母は15歳から(両親が離婚したために)母親とともに一家の家計を背負って働いていたので、裕福な家庭のお嬢ちゃんの 放蕩では決してない。しかし、働かざるを得なかったために、ある意味ではその状況が一気に逆転して、貧乏な田舎者にもかかわらず社会を知り、アカ抜ける要因になったともいえる。彼女はたぶん、村一番の、洒落たお姉さんであったに違いないのだ。(下の写真でひとりだけサングラスをかけて浮いているのが母、、、アンタ、何モノ?)

 

話は長くなったがそういうわけで、私はサンバ・ルンバ・タンゴ・マンボに親しんで育ち、それは私の南米に対する憧れの素地になっている。


人生はすでに半分は過ぎたであろうと思われるので、心残りの課題をこれから少しずつ、片付けていくつもりだ。

アルゼンチンとチリの建国200周年記念イベント、というのに出かけてきました。それは、過日のチリ地震に対するチャリティの要素が強いものだったけれど、イースター島の民族舞踊やアルゼンチンタンゴの披露もあり、もちろん、フォルクローレなどの生演奏もあり、私は昼間っからチリワインとエンパナーダとかいうミートパイをつまみながら、ボーっとを緩い時を過ごして幸せ気分でした。誰しも、自分が生まれたところが自分の故郷であると思いがちであるが、ほんとうにそうなのだろうか?という気がしてならない。とくに音楽というのは重要だ。自分の琴線に触れる音、というのがたしかにある。心地いいなぁ〜と思いながら、つい募金も多めに(私って判り易い人間)入れたりなんかして、休日の数時間を気もちよく過ごさせてもらった。

そこは移民センターだったので、帰り際、違う階で開催されていた展示にも足を止めた。それはブラジルのパラナ州というところに関する写真展で、現地の美しい自然の写真や、100年ほど前に入植した日本人の功績などがパネルに大きく紹介されていた。養鶏をブラジルではじめたのも日本人だし、野菜もいろいろな種類のものを持ち込み、育て、ブラジルの農産業にはずいぶんと貢献されてこられたのだ。今はこんなにグローバル化された世の中になってしまったが、船に乗ってまったくの未知なる土地へ行き、開墾してゼロから生活を立ち上げた人々の苦労や情熱はいくばくかと思う。

その写真の中に、目が釘付けになったものがありました。ブラジル日本人移民100周年記念コインです。2レアル硬貨の裏側。わ〜 柿だっ! 柿は最初の入植者たちがとても大切に現地に根付かせた作物のひとつらしい。彼らの歴史を象徴するものとして柿が選ばれたのなんて、柿とはそういう果物だったのか〜と私は感慨深く思いました。



なぜか日本に、自分のふるさと感がないなぁ、と思っている私は、じつは最も日本的なるものの中で暮らしているのでしょうか? いや、だからこそ、もう、充分!と思えるのか。なににせよ、南米への思いは募ります。