この日曜日は、行楽日和のなか名勝庭園での展覧会見物に出かけていたが、ご一緒した方がご高齢のために夕方にはご自宅へお送りした。私は入院中の 父の病室に2時間ばかり様子を見に行って帰ってからご飯を炊き、サバを焼いて、大根おろしに柚子を絞ってパクついていたら父が騒動を起こしたと いって連絡があり、どうにか酔いを冷まして馳せ参じることになった(いつもほとんど飲んでいる)。


父は自分でトイレに立ったもののコケたらしく、胆汁を抜くために鼻から入っていたチューブが引っこ抜かれ(たぶん勝手に抜いた?)、膝を強打し、 おでこに擦りキズをつくってもがいているところを看護師さんに発見されたらしい。私は退室する際に父に「私がいるあいだにトイレに行っておいては どうか」と尋ねたのだが「今は行きたくない」と言うので介添せず帰ったばかりなのであった。、、、、ほらね、言わんこっちゃない。父はようするに 自分で動ける筋力もないのに導尿もシビンも拒否っているのでそういうことになったのである。シビンなんかでおしっこをとってもらうのは屈辱なんだ そうだ。その誇り高い気持ちは尊重はするが、健康体ではなくいろいろな人の助けが必要な今は、少しくらい心を柔らかくしてくれたらいいのに、と思 う。ほんとうに、なかなか一筋縄ではいかない人だ。

父のようにナースコールをせず、自ら出来ると思い込んで勝手なことをする患者は手に負えないので監視要員を要請されてしまったのだ。べつに、泊り こむこと自体は構わないが、生死をさ迷う重篤状態ならいざしらず、トイレ監視のために徹夜するなんてどうかしている話だがやむをえない。朝まで数 回のおしっこにつきあうことになった。

夜勤の看護師さんに「守ってあげられなくてごめんなさいね」と言っていただいた。まぁ、たしかに病室内で怪我をするなんてイチャモンつけの身内の 人間なら抗議行動に出たりすることもあるのかもしれない。もちろん、妹も母も私も、父が究極の頑固なヤツだと知っているので、コケたのは父のせい であるとよく分かっているからそんな無茶を言ったりはしない。父は自分の気持ちや行動の方法がまわりの人間の時間を無意味に無駄にしていることな どまるで頓着はない。看護師さんたちも、父のようなタイプの患者は処しづらいだろう。こんな怪我をして痛い目にあったのだから学びそうなものだ が、父は月曜日も自分のやり方を押し通し、係る人間すべてを巻き添えにして困らせ進行中である。


父の入院から一カ月が過ぎた。

胆のうや胆管に石があり、そのせいで胆汁が流れなくなり、かつ、その臓器の細胞は癌ということらしい。長い間、炎症があったところは癌にもなりや すいのだろう。

診断がなかなかつかなかった、ということや、とりあえず目前の症状に対処しなければならないということで、最終的に、癌についてどうするか、とい うことはまだ何ら話し合われていない。外科的に切るのは負担が大きいので無理だそうだ。父はどうしたいと言うだろうか(今は黄疸に対する治療を優 先させている状態)。

父はこの一カ月でかなり本当の病人になってしまった。病気としての原因はとうぜん大きい理由だろうが、入院することそのものが人間に負荷をかけて いるのは間違いない。なにかを処置されるたびに体力が衰え、病気が広がり大きくなっているような気がする。管を入れられ、針を打たれ、CTやレン トゲンで放射線を浴びせられ、眠っていてもしょっちゅう誰かに見にこられる。父のような、何事も自分の思うようにしないと気が済まない気質の人間 にはさぞつらかろうと思う。

入院当初、父は「こんなん、昔やったら<腹が痛い>、で、そのうち死んで終わりやろうな」と言っていた。たしかにまぁそうだっただろう。今はとり あえず検査をすると原因が判ってしまうし、それなりの治療もありえてしまう。どこまでどうするのか、自分で決めなくてはならない。

私は病室にいてもあまり病気のことは話題にせず、父がやってきた仕事の話や、ネタになりそうな妙なことを聞くようにしている。騒動の前に話してい たとき、「俺の人生は未完成なことばかりだ」と過去を振り返ってボヤいていた。技術屋としてまだやりったかったこともあるようで、「目の前のこと に追われていたからできなかった」と残念そうだった。病院のベッドの上にいるとそういうことも考えてしまうのだろう。あるいは、デカイ仕事の大し た金額の話をしたりもする。脆弱な経営の私に向かって自慢したいこともあるのだろうか。

すべての人は、毎日、老いていく。
私もついに、眠っている父親の横のソファで様子を観ながら夜が明けていくことを経験することになってしまった。

昨日は私には都合よく休日だったが、父は「おまえも仕事があるんやからテキトウなところで帰れよ」と言った(徹夜でトイレの監視をさせておいて呆 れる言動だ)。しかし、私のやっていることをずっと「おまえのやっていることは遊び」と糾弾してはばからなかった父が、はじめてそれを「仕事」と 表現した。父もたしかに老いたようだ。