大人になってから本にたいする所有欲がなくなり、購入するのをやめてしまった。今ではだいたい図書館で賄ってしまう。ただ、たまに図書館に蔵書さ れていな いものもあり、どうしても読みたければ中古店で探すことにはなる。そして「1500円で送料無料!」というシステムになっていると、もし欲する本 が 1400円で送料が360円だといわれれば、「あと100円で何か買う気になるものはないか?」と探してしまうのはしかたがない思考です。中古店市場では 100円本が溢れていて、そのリストを眺めながら選ぶのはそれはそれで興味深い。

そのような状況で無理に買った本、 『こんな民主主義いらない』が袋に入ったまま忘れていたけれど、部屋の片隅に発見したので読みました。書かれたのは1997年ですから20年前の書物です。

まえがきの中に

より良い生活を求める――― つまり経済活動がトップ・プライオリティーだった戦後の日本では、政治家より経済人と官僚に優秀な人材が要求されたのは、当然といえば当然だったかもしれない。財界人や官僚の本音は、「政治家は金をやったりしてオダてたりして使うモノ」であった。こうしてニッポン株式会社は、政治不在のまま未曾有の経済成長を獲ち得たのであるが、バブル経済の崩壊とともに国民を一番悩ませているのが、他ならぬ「政治家の質の低さ」なのは皮肉である。――中略―― さいわいボクは一年の内八カ月以上を外国で暮らしている。外に居ると「中」が見える。このエッセイを書き出して一層その感を深くした。その上書いていく内に、日本に欠けているのは政治家とすぐれたジャーナリズムだと考えるようになった。後略

とあって、大橋巨泉の指摘は20年経った現在もそのままであり、否ますます深刻化しているなと私は思う。

ほんとうに、つまらない政治家ばかりで、、、、。(記載さえしたくない酷さの)暴言とか暴力とかはともかく、セコくてみみっちい2回生議員の不祥事など、知るのも不愉快ですよね。貧相というのか、、、「質の低い」などと表現できる以前の、まったく「人としてどうよ?」の政治家ばかりじゃありませんか。

それに、とりあえずは「長」であるはずの人々もなんだかハチャメチャですね。人心にアピールしそうな提案を思いつきで発言する都知事。東京都民でない私は都政についてはぼんやりしかチェックしておらず、豊洲への移転にストップをかけた知事がそれをまったくの独断で行ったということは見過ごしていました。今回の「築地再開発」発言も同様に、資金繰りの問題などすっ飛ばしてアイデアだけの話のようです。知事と議会が反目してスタートしたのはしかたがないにせよ、議会にかけることなく根回しや調整すら行わずに独走している(できる)というのはすごいですね。しかしなぜにそんな傍若無人の振る舞いがまかり通っているのですか? 何百億円規模の支出を独断可能なのはなぜなんでしょう? これならば前のスイートルーム知事とか、「よきにはからえ」前前知事のほうがいくらかマシだったと誰かが言っていましたが(笑)。まぁ、お金があるから平気なんでしょうか。東京都の予算は、もしも世界の国家GDPランクに位置づけるとしたら 17位らしいです。お金持ちなんですね~

おぼっちゃま総理大臣も暴走しています。彼を見ていると、手にオモチャを持ったまま勝手気儘に走り回る小さな子供を連想します。あっちにウロウロこっちにウロウロ。憲法を変えたいなら野党与党国民を説得し論議し、審議し、順次行っていけばいいんです。現行憲法に「加える」という姑息なやりかたで「変化させた」という事実のみを性急につくろうとしている。そうやって自分の名を歴史に残すことがまずなによりも大切なんでしょう。国際情勢を鑑みてまさにぜったいに国防が必要だと考えるのなら、本気で取り組めばいいんです。人生のなかで一度くらい、さすが総理大臣だというような舌鋒鋭く感嘆できるような演説を聞いてみたいものですが無理ですね。国会は学園問題に膨大な時間をつかって閉幕になったし。本気の政治家はどこにもいない。


しかしまぁ、今の世の中、過去において鮮明だった思想的な右も左ももう意味はなくて、「議論のできない烏合」があちこちでピーチクパーチクと勝手に騒いでいるだけ、になっていると私は思います。まともな議論を行っている現場など久しく見たことがありません。ネットで拾う情報や解説も、種々の論客がまじめに集って論争する場はなくて、個人の見解を述べるだけや、迎合がちなアナウンサーによるインタビューでしかない。私はそれらを寄せ集めて自分なりに判断するしかないんです。一同に会して喋ってくれたら時間短縮できるのに!と、よく思います。総じて、右派は教養と理想がなくなり世俗的に、左派は時代を咀嚼することを怠り化石のようになっている。 対話として成立するための接点がどこにもないですね。

そして、巨泉が指摘したように、ていたらくはマスメディアとジャーナリストたち。私は、23日に行われた前川・前文科次官の日本記者クラブでの会見をすべて(2時間くらい)ネット経由で見ました。前川さんはまぁまぁ頭は良さそうでしたが、、、ジャーナリストたち、、、、質問に精彩を感じなかったですね。事前準備や勉強も十分でない。農水省と文科省、厚労省のやりとりについてとか、もっと具体的に尋ねてほしかったです。そしてなにより、何がコトの問題なのか一番大切なことを見落としている。現代日本のこの社会では、報道というものが権力の前にすっかり力を失っているという事実に彼らはなす術をもっていません。東京新聞の記者が前川氏に「いったい我々メディアはどうしたらいいと思いますか?」なんて馬鹿げた質問をしていました。おいおい! 新聞社とテレビ局は総出で猛反省し体制を立て直さないとダメなんですよ。でも現実は逆です。マスメディアは政府にひれ伏し加担する犬でしかありません。前川氏の出会い系バー通いについてはもともと官邸にバレていて(杉田副長官から)注意をされていたと本人は言いました。また、読売新聞が記事にする前にコンタクトをとってきたが無視すると、官邸からの接触もあったそうです。「今だったらまだ揉み消せるよ?」と示唆するようなタイミングで! だからこの情報を世間にリークしたのは官邸だと思う、と本人は言ってました(テレビで報道されているんでしょうか?)。前川氏は淡々と理路整然に語っていて、少なくとも政治家よりは官僚のほうが頭脳は数段マシなのだということがよくわかります。ほんとうは、その頭脳をもっと活用し働いてもらうことこそが私たちの得ですのに、しょうもないプライベートな痴話を取り上げてサブジェクトを反らせ、核心に迫ってくるのを(内閣府が)逃れようとするなんてお昼のドラマのごとく稚拙なやり方です。

官僚は再就職先確保が第一関心事。前川氏だって今はもう天下り問題が自分の身に関与しないから楽々で話せるんですわ。べつに聖人君子じゃありませんよ。そして政治家にはプランも教養も政治能力もないのに売名の気持ちだけはある。ジャーナリストは名ばかりの体裁だけで自主規制の罠に落ち、準備も言葉も足らず取材のセンスもない。こんな状態ではいったいどうすりゃいいの?的、八方ふさがり の状況です。

、、、と書きながらですね、じつは私、『こんな民主主義いらない』ではなくて、この国民を民主主義というやり方で治めるのがそもそも無理なんじゃないかと思っています。日本人に民主主義はそぐわない。あるいは、その知的成熟度がない。自ら考えない、人の話を聴かない、意志表示をしない、行動しない。これらはすべて民主主義システムからはるかに遠いのです。よく言われるように、日本における民主主義は自ら勝ち取ったシステムではなく戦後に「与えられた」ので、これを死守したいとも、身に沁みてその価値を分かっているとも言えないのではないか? そしてまた、意見の違う人間と議論するにおいて基礎的に備えていなければならない言語能力の低さはどうしても乗り越えられないハンディです。幼少からの教育において、そのスキルが醸成される現場がないので当然なのですが、経験的トレーニングの足りなさは議論必須の民主主義には不向きです。政治家がこれだけ乱心し官僚が利益に執着しジャーナリズムが腰砕けになっていてもべつに民衆は怒りもせず変わり映えしない選挙に出向き従順に投票し、「やっぱりどうにもならんね~」と言うだけで終わる。今回の獣医学部についての一件も、とりあえずはこのような元官僚のアクションによって何がしかの動きがあるかもしれない、と、一筋の期待は持ってはいますがけっきょくは平穏に(京産大の獣医学部開設もOKするとの)蓋をされてほどほどに終息するんじゃない でしょうか? ジャーナリズムなんて、死んでるんです。


日曜日に、私のところで出演してくれているメンバーが合唱で参加していたこともあって、オペラ「皇帝ティートの慈悲」を観てきました。モーツァルトの亡くなる数カ月前、「魔笛」のひとつ前に完成された作品です。クラリネットが美しくフューチャリングされている、ストーリーも分かりやすいオペラですよ。

ローマ皇帝ティート(ティトウス)はさんざん失望させられ、裏切られてしまいます。①妻にしたい女性からは「他に好きな人がいるんです」と告白される。②忠臣の部下には宮殿に火を放たれ、刺される(別人だったので難は逃れた)。③最終的に妻にしようとした女性から「じつはあなたを刺してくれと頼んだのは私だったのです」と明らかにされる。次から次への背信行為を確認する踏んだり蹴ったりの一日。

皇帝は愕然として、「今日はなんたる最低な日だ!」と怒り心頭、嘆き苦しみ、悶えるのだけれどなんとか必死で理性をフル回転させ、ついに決心するのです。「ええぃっ もう、ぜんぶ赦す! すべての罪を咎めない。だって、オマエらを責めない俺がやっぱり偉いんだもん!」と脳で感情をねじ伏せ、焼けっぱちに開きなおって(笑)最終的にはけっきょく民の信望を勝ち取るんです。司法たる元老院はちゃんと機能していて「謀反を起した者は死刑!」と、決定するのですよ。皇帝が決めるのではありません。でも、最終的には超法規の恩赦が出るんですね。権力を持つものが法を超えていいのはこういうときだけなのではないかと(笑)、、、、、つくづく思いました。

日本も、民主主義を捨てて、、、、、こういうシステムで治世するほうがいいんじゃないんでしょうか? まぁ、皇帝ポジションに適当な人物がいないのが最難関の問題ではありますが。